葬儀に参列する際には、ご遺族に対して思いやりをもって故人を悼みお悔やみの言葉をかけます。葬儀の場というのは非常に繊細ですのでお悔やみの言葉を述べる際は、故人や遺族の方々に失礼のない様に十分に配慮する必要があります。葬儀に参列した後は、会葬礼状などと一緒に渡されるお清め塩という身体を清めるために使う塩を受け取り自宅に入る前に玄関先で身体に振りかけるものとして使います。それぞれ葬儀の始まりと終わりの大切なことですからマナーとして覚えておきましょう。
お悔やみの言葉をお伝えするタイミング
お悔やみの言葉をお伝えするタイミングや場所により添える言葉が変わりますので注意しましょう。
葬儀の受付では基本的なお悔やみの言葉に続けて「お参りさせていただきます」や仏式なら「ご焼香をさせていただきます」といった言葉を添えます。通夜で通夜ぶるまいに呼ばれ退席する際には受付で「おもてなしに預かりました。今日はこれで失礼致します」と添えます。葬儀に参列できず後日改めて喪家を訪ねる場合は、お悔やみの言葉の後に参列できなかった事を詫びる言葉にあたる「ご葬儀に伺えず、失礼をお許し下さい」を添えます。その上でお参りさせて頂きたい事を伝えます。
ご家族のご逝去に際し遺族の方々は深い悲しみを感じていらっしゃいます。お悔やみの言葉を述べる際は、悲しみにくれる遺族の気持ちに寄り添い、故人様を悼む気持ちを込めながら短めに伝えるようにします。故人と親交が深かった場合は想いが溢れ様々な事を伝えたくなるかもしれませんが、ご遺族の負担を増やさない様に配慮する事が大切です。声のトーンは抑え、小さめの声で挨拶するのが基本です。死因や故人の年齢によりお悔やみの言葉を変える場合もありますが、こちらから死因を尋ねるのは控えましょう。その場に適した正しい言葉を選択し、故人や遺族に対して嫌悪感や不快な想いをさせない様に振る舞う事が大切です。
代表的な言葉
お悔やみの言葉は「この度はご愁傷さまでございます」「お悔やみ申しあげます」などのような言葉が代表的です。それぞれの違いや意味をお伝えしていきます。
- 「ご愁傷さまです」の意味と使い方
- 「愁傷」の「愁」とは憂いの気持ちを表し「傷」とは強い悲しみを表します。それが合わさった「愁傷」は、強い悲しみを憂えるという事であり、「ご愁傷さまです」は遺族に対して同情や慰めの気持ちを含んでいる為、通夜や葬儀の場で述べるお悔やみの言葉として代表的です。また、ご愁傷さまという言葉には「御」と「様」の最上の敬意を示す表現であり、敬語表現でもある為、ビジネスシーンや目上の方に対し使用されます。また時に日常で嫌味や煽る意味で使用される事もあり、その皮肉めいた意味合いに嫌悪感を示す方もいますので言葉をかける相手やその場の雰囲気やタイミングなどをよく考える必要があります。また「ご愁傷さまです」を使用する際に注意したい点として、口頭でのみ使用可能な言葉ですので、文面で使うのは不適切となるので注意してください。
- 「お悔やみ申し上げます」の意味と使い方
- 「お悔やみ」とは人の死を弔う言葉です。「お悔やみ申し上げます」は、「故人の死を悲しみ、弔いの言葉を申し上げます」という意味になります。遺族と話す際に使う場合は、「この度は心よりお悔やみ申し上げます」と言うのが代表的です。また「ご愁傷さまです」と併用して「この度はご愁傷さまです。心よりお悔やみ申し上げます」と伝えても良いでしょう。「お悔やみ申し上げます」は口頭でも文面のどちらにおいても使用可能な言葉です。文中では、「ご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます」や「突然の悲報に接し、心からお悔やみ申し上げます」などの使い方が代表的です。
お清め塩を行うタイミング
お清め塩は本来神道で行われてきた儀式で、神道では死を穢れと認識していた事から塩を体にまくことで穢れがはらわれると考えました。宗教や地域の風習などにより考え方が異なりますので儀式の必要性に迷った場合は、信仰する宗教や個人の考え方に従うとよいでしょう。
お清め塩を体にまく適切なタイミングは、葬儀から帰宅した時です。家に入る前に行うのが基本的なマナーとなっているため、葬儀でお清めの塩を受け取った場合は忘れないよう備えておきましょう。清めないまま家の中へ入る行為は、穢れを持ったまま家へ入ることを意味すると考えられています。葬儀で受け取らなかった場合は、近隣の商業施設などで購入しても問題はありません。家族が家にいるのであれば、玄関に入らないように手渡しで塩を受け取っても良いでしょう。地域によっては、移動のために利用した車に乗り込む前が適切とする場合もあります。
使い方
具体的な方法は塩をひとつまみ取り「胸・背中(肩)・足元の順」に振りかけ最後に手で軽く払います。1人で背中に手を回すのが困難な場合は、背中に近い位置の肩に振りかけましょう。「足元に軽く振りかけるだけ」といった事も現在では増えていますが、負担に感じないのであれば正しい方法でできるとより安心です。
お清め塩については慣習的に行っている事がほとんどで、必ず行わなければいけないということではありませんので気にならないようであれば行う必要はないともいえます。清めの塩は宗教によっても判断がわかれるもので、この習慣に疑問を投げかける宗派もあります。浄土真宗では、死を不浄とする考えに基づくお清め塩は迷信であるとしています。ご自身で気になるのであれば清めの塩が用意されていなくても行っても構いません。清めの塩をするか否かは、ご自身の気持ちに従って判断すれば良いでしょう。